File No. 005 [Bow's Boards Story]

Allan Byrne 6 Deep channel (Hot Stuff)

Posted on September 20, 2013 by Nozomu Sugimoto

今から 29 年前の 1984 年。初めてのオーストラリア旅行の行き先は、ゴールドコーストでした。
当時はまだ、日本とオーストラリア間の直行便がありませんでした。
大阪国際空港(伊丹空港)→新東京国際空港(成田空港) → 香港国際空港 → メルボルン空港 → シドニー国際空港 → バスで国内線へ → シドニー空港 → ブリスベーン空港 → バスでゴールドコーストへ、片道約 20 時間の移動でした。

バスでゴールドコーストへ向かう途中、HOT STAFF のサーフショップを見つけて大興奮しました。 当時の HOT STAFF のボードは、世界チャンピオン Wayne Rabbit Bartholomew や Gary Kong Elkerton をライダーに抱える、実に HOT なショップだったのです。

翌日、ボクはレンタカーを借りて、早速、HOT STAFF のサーフショップへ向かいました。目的は、Allan Byrne が削る 6 Deep channel を手に入れることです。憧れの Wayne Rabbit Bartholomew が乗るボードに乗りたかったのです。

ショップで店員に、オーダーしてから受け取れるまで何日かかるか早速聞いてみました。 「そうだね、今なら、早くて 1 カ月くらいで出来るよ」

1 ヵ月先か…とっくに日本に帰っちゃってるなぁ…

当時、日本のサラリーマンで、つかの間の休日を使って訪れていたボクには、そんな長期滞在はできませんでした。あーあ、ここまで来たのに…
うつむきかけたボクでしたが、ハッと思いついて顔をあげました。
「もしかして、在庫があったりしますか?」

幸運にも、その日、ボク身長・体重に合うボードの在庫が 2 本ありました。
1 本はガンで、サイズは 6'08"。
もう1本は 6'00"のショートボードでした。

ボクは、ショートボードを買うことに決めました。
そして、このボードで今、一番適している波がブレイクしているポイントはどこか、たずねてみました。
店員はすかさず答えてくれました。
「 DY (ディワイ)だね」
ボクは翌朝、まだ日が明けないうちにホテルを出て DY を目指しました。

DY に到着するとそこには、パーフェクトな波がブレイクしていました。 早速、車からボードを下してワックスアップして入水。 サイズは肩〜頭で、当時のボクにはもったいない、良い波でした。

綺麗に三角で入る波が、完璧な形でブレイクしていきます。 無我夢中でパドルからテイクオフへ。波の斜面に食いついたボトムから速い水の流れを感じながら、ボードはフルスロットルで斜面を滑走していきます。
今までにないスピード感。
これが 6 Deep channel の効果なのだと実感しました。

何本か良い波に乗れて、ボクは感無量の放心状態でした。

しかし今、このボードはボクの手元にはありません。
ボードはバリに来るとき、友人へ置き土産としてあげたのです。
その時は
「またオーストラリアに行こう。Allan Byrne 6 Deep channel は、その時また買えばいい。 今度は、オーダーボードを削ってもらおう」
と思っていたのでした。

しかし残念なことに、そんな日が来ることは、もう、永遠にありません。 先月 2013 年 8 月 8 日、アラン・バーンは、ここバリ島で亡くなってしまったのです。

ビッグウェーバーとしても知られるアラン・バーンは、先月 8 月にバリ島パダンパダンで開催されたコンテストにワイドルカードでエントリーをして、バリ島に滞在していました。
8 月 2 日にバイクで移動中に事故に遭い、腕と頭蓋骨を骨折、出血などで昏睡状態となり、8 月 8 日帰らぬ人となってしまったのです。享年 64 歳でした。

サーフィン界はまた、偉大なシェーパーを失ってしまいました。

[ Allan byrne アラン バーン 略歴 ]
ニュージーランドで生まれたアラン・バーンは、1960 年〜 70 年代にワールドツアーで活躍。 23 歳でサーフィンの世界から離れ、ニュージーランド空軍士官学校に入学し、26 歳の終わりまで空軍のナビゲーターとして所属した際に流体力学と気象学を習得しました。
それによりサーフボードデザインに空軍で学んだ空気力学の知識を取り入れました。
第一回スタビーズサーフコンペティション出場のためにゴールドコーストを訪れ、当時ディープチャンネルという新しい試みをしていた故コール・スミスに出会います。そこでスピード性能抜群のディープチャンネルのノウハウを受け継ぎ、日々研究を重ねて、現在のアランバーンスタイルのチャンネルボトムを完成しました。
1970 年後期にオーストラリアへ移住し、8 年間ゴールドコーストのホット・スタッフでボードシェープ。 ワールドチャンピオンとなったウェイン・ラビット・バーソロミューやゲーリー・エルカートンなど当時のオーストラリアを代表するトッププロサーファーのボードを手がけました。 1981 年には自らパイプラインマスターズで 2 位となる。
1986 年独立して "Byrning Spears" を設立。
60 歳の還暦祝いにハワイで 40 ft の波に乗るという根っからのサーフィン好き。 日本では四国徳島県海部の波を愛しました。